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偶像崇拝。

1 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 07:20
仏の像は大好きだけど、像崇拝が神や仏の姿
を歪めるというのもよくわかる気がする。
無仏像の時代もあったわけですが、どうして仏像
はつくられるようになったのでしょうか?

2 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/22(日) 07:45
美術的側面と宗教的側面を分けられんのか?

3 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/23(月) 15:49
ガンダーラはギリシャの影響だとか。

4 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/26(木) 09:23
仏像−それは芸術作品であると同時に、礼拝像であり、祈りの対象であった。

人間の想像力は、釈尊はじめ偉大な菩薩たちを可視的な像に創ることによって、
それを見る者に畏敬と宗教的感動を起こさせることを意図した。が、釈尊をい
かなる形象に可視化するかという最初の難問を、彼らは克服しなければならな
かった。

釈尊が入滅したのは、これまで異説があったが、紀元前383年頃というのが
最近学界で支持されている。ところが仏像がはじめてインド亜大陸に出現した
のは、紀元後1世紀最末期あるいは2世紀はじめであった。仏像の出現以前、
すでに3世紀以上にわたって仏教美術は制作されていたが、釈尊像は彫られな
かった。

その長い期間、釈尊の姿なき仏教芸術がつくられていたのである。

が、仏像出現というドラマティックな瞬間がきた。

それはヒマラヤ山脈の西、ヒンドゥ・クシュの南麓、今のパキスタンのガンダ
ーラの狭い平野においてであった。そこには北方の砂漠から嶮しいヒンドゥ・
クシュの山なみや、ほとんど一木一草もない荒野を越えて南下してきた半遊牧
民の建てた国、クシャーナ王朝の都があった。彼ら、半遊牧民には、2つの性
格があった。それは、それしか見ることのできない太陽と月と星と砂漠と岩の
大地を毎日見ていることから培われた神秘主義と、きびしい生活から生まれた
現実主義とであった。彼らにとって興味があるのは、釈尊を礼拝することでは
なく、釈尊という人間は何をしたか、いかに生きたか、ということであった。
そこで彼らは釈尊の生涯、すなわち仏伝図を彫りはじめ、自然に、偉大な人間
釈尊の姿をリアルに仏伝図のなかに彫ってしまった。ここに仏像の歴史がはじ
まる。

5 :わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/26(木) 09:25
test

6 :ito-fro:2001/07/28(土) 03:29
超自我の拠り所です。

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